シリーズ 最期に暮らす、とっておきの家 ⑩ いつが最期かはわからない

シリーズ 最期に暮らす、とっておきの家 ⑩  

いつが最期かはわからない 

人生の難しさの一つは、いつ幕引きなのか、それが分からないということもある。 

もっとも終わりの時期が、分からないからこそ安心して生きているということなのだろうが。どうであれ分からないのだから、それを前提に生きていくしかない。 

人の一生には時期に応じての区切りがある。学校も卒業があるし、就職には定年がある。その区切りに応じて準備もできるし心の整理もできる。 

しかし死に関してはそうはいかない。誰にも100%間違いなく訪れることなのに、いつなのか、明確なことはわからない。 

それゆえ「一日一日一瞬一瞬を大切にして生きる」という金言も生まれたのだろう。 

「終の住い」を実際の死に場所と思うことは現実的ではないかもしれない。最近では、 ほとんどの方が病院で亡くなっているのだから。 

「終の住い」は、その人の人生において最期にある程度の期間を暮らした家ということ になるのだろう。 

この人生は修行のために生まれてきたという死生観にたてば、当然最期まで楽ができるはずはないだろう。そういう覚悟で残りの生に臨めば、あまりジタバタしないで最期を迎えることができるかもしれない。 

人は基本的には自己中心だが、余りに自分の事ばかりを軸に生きていると苦しくなってくる。一方で人は、自分以外に尽くす気持ちもある。 

そして面白いことに自分以外の人やペットなどのために一所懸命になっていると、自分の苦しみは横に置かれ、案外忘れてしまって心が楽になっている、そんな経験はどなたもしていることだろう。 

人生の最期を生き切る、それは自分以外のなにものかに尽くすことなのかもしれない。 

その尽くす対象は人によって様々であろうが、苦楽を共にしたパートナーがいるならばその最も身近な存在に尽くすのは最低限なことかもしれない。 

尽くすというと言葉の響きが大げさで余り使いたくない表現でもあるが、これからも共に生きていくのだから、もう少し気楽に力を抜いて、できれば楽しく、ありがとう、という気持ちで毎日を過ごしていくという事か。 

人によっては仕事以上に大変なことと感じるかもしれないが、自分の心を丸く大きくしていくチャンスととらえることができれば、意外とそこに喜びを見出すこともできるかもしれない。 

家づくりもある年代になると自分よりもパートナーや次の世代を見据えてされる方が 多い。いつ幕が引かれるか分からない人生、そんな人生を生き切れれば素晴らしい。 

お客様の声

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