シリーズ 最期に暮らす、とっておきの家 ①
最期? とっておき?
このシリーズの題名「最期に暮らす、とっておきの家」は以前に担当であった女性、通称「おっちゃん」が決めたものだ。前回のシリーズ「イマドキの二世帯住宅」の今時をカタカナにこだわったのも「おっちゃん」であった。その「おっちゃん」は退社していないが、こうした題名からも感じられるように中々ユニークな人であった。
今回のシリーズの課題は結構難しい。
最期に暮らす・・・これは死ぬまでという意味?
とっておきの家・・・棺桶のこと?
最後まで分からないのが、人の「生き死に」でしょう。
とっておきの家は、死に場所になるのだろうか。
これは家づくりのテーマになるのか、ふさわしいのかと強く感じたが、一方でとても魅力的なにおいがして捨てがたくなった。
うんうーんと苦しみながら書いてみるかという気になった。
まとまった文章になるかどうかは自信があるとは言えないが挑戦してみようと覚悟し、今回を含めて17回のシリーズとした。お付き合いしていただければ幸せの極致だ。
初回の題名は「この家で生き切ると言う意志」と考えた。
一回の原稿の長さはA4用紙1枚と決めているので残された行数はわずかだが、言いたいことは単純だ。「最期に」を「生き切る」とし「とっておきの家」を「この家」とした。「生き切る」と「この家」に強い意志を反映させた。
この原稿を書いている今現在(2016.5.12)私は68才である。「最期」のイメージが具体的に浮かべることが可能な年齢になった。自分の事ばかりではなく周りの親しい人たちを含めて、それは現実的なことでもある。
そうした意味でも重たいテーマだが逃げて通れる話ではない。
残り何年か何十年かは知る由もないが、「最期」は必ず来る。「最期」はこの娑婆とおさらばする日、その日は自分が人間として最も成長した姿でありたいと若いころから願ってきた。その「最期」に暮らしている家は「とっておき」に決まっている。
「おっちゃん」のイメージした内容とは違うかもしれない。何しろ彼女は娘のような年齢であったので彼女の思い描いたものとは異なって当たり前と思い、この後は自分で感じ考えていることを書き綴っていこう。
第2回目の原稿の題は「先立たれるのは嫌だ」にした。
さてどうなることか。