「イマドキの二世帯住宅」第9話 個人の感覚がなくなるようでは

社会の一員、家族の一員。この言葉で想起されるイメージは人それぞれであろうが、人は一人で生きているわけではないので、それぞれ連想されるイメージはとうぜん意味のある事であろう。 

ここでは家族の一員という言葉に秘められた意味を考えてみたい。 

家族の一人としての責任と義務みたいな堅苦しい感覚にもなりがちな雰囲気を持つ言葉だが、ここでは少し斜めから見てみよう。家族の一員という言葉から、「家族の中に埋没する」そんなイメージが湧いてくる。人は家族であると同時に一人の人間だ。 

一人ひとりの個性も違うし得意なことも異なっているのが普通だ。その個性や能力を育み伸ばしていく土壌が家族だろう。 

だからと言って親や兄弟姉妹がこうあるべきだなんてことは言う気はない。人間の生活に教条主義的なことはいらないと思っている。 

これは個人の感覚の問題なのだと思う。 

家族の中にあっても人の気持ちは日々揺れ動く。それぞれが家族生活以外の社会生活を送っている。当然それぞれの毎日は、楽しかったり苦しかったり悲しかったり、自信にあふれていたり落ち込んでいたり、イライラしていたり人に当たりたくなったり優しい思いに溢れていたりと、実に目まぐるしく変化していることも稀ではない。その原因が家族生活の場合もあればそれ以外の社会生活による場合もある。 

そうした感情を持つ複数の人間が身内として一つ屋根の下に生活を共にしている、それが家族だ。また一つ屋根の下を離れても家族であることに変わりはない。 

家族の一員。 

この当たり前の響きを持つ言葉は考えようによっては、とても重くなる。 

普通の寿命を全うすれば、人生にはいろいろな局面がある。時間の経過とともにそれぞれ家族の一員の役割も大きく変化する。 

家族を無視している時期もあれば、家族に振りまわされてしまう時期もある。 

どうであれ何らかの形で例えそれが心の中という形でも、人死ぬまで家族という大きな何者から逃れることはできない。 

そうであればより素直な気持ちで家族に接することができればいいのだろうと感じる。人がそんな気持ちになれるのはある程度の年月が必要なのだろうが、家族の中の一人、家族意識と個人意識、この感覚バランスはむずかしい。 

なんだか書いていてもバラバラ感があるし、読み返しても何を言いたいのか、まとまりのない内容だ。 

家族と個人、私には扱いきれないテーマだ。気楽にいこう。 

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