変容する家族像

変容する家族像

実にさまざまな家族の姿がある。姉妹の生活。母と子の暮らし。夫婦二人の家。一人暮らし。

二世帯における夫の両親との同居、もしくは妻の両親との同居。

籍の入っていない男と女のいわば同居パターン・戸籍上夫婦であってもそれぞれが自分名義の家を持つというケースもあった。また、最近は、甥っ子や姪っ子との同居、さらに夫婦それぞれの両親が一緒に暮らすといったコーポラティブハウスのような住まい方まで登場してきている。

同じような家族構成をしていても、実際の暮らしのかたちはまちまちである。

特に二世帯、もしくは両親の誰かとの同居のような形態の場合、同居のきっかけ、そして人間関係の親密さ、生き方の違い、さらには経済的にどちらがイニシアチィヴをとっているのかなどにより家のつくり方は大きく変わってくる。

どういうつくりにしろ良いとか悪いとかの判断ができるものではないし、家のつくりに関係なく結果として仲の良い家族は仲が良いものだと思う。

夫婦の寝室にしても、すでに別室というかたちは定着している感がある。しかし同室であっても、実際はほとんど会話もなければ、お互いへの関心が希薄となっている夫婦は案外多い。

反対に離れて暮らしていても、しっかりこころの通じる夫婦や親子もあって、家のかたちや生活のかたちからは判断できないのが家族なのかもしれない。

家づくりは自分、そして家族の実体が見つめられ、家族のありようを考えさせられる良いチャンスとも言えそうだ。

そしておそらくは女性のサイドからさまざまな新しい家族像が生みだされたのだと思う。

個の自立、あえて言えば女性の自立が大きな原動力となっていることは疑いないだろう。特に精神的自立に加え、経済的自立をともなった女性が増えてきたことが、こうした新しい形態の家族のあり方を可能とし、これまでの家庭という概念に大きな波紋を投げかけたのだと思う。

まさにシングルマザーの出現は子どもを連れて実家に頼るといったこれまでの概念を変えた。

しかも子どもとの生活を楽しみながら自分らしく、生き生きと生活している。出戻りなどと称された時代の世間体への気遣いや暗さは見られない。

かつて家は住み継ぐ家族の存在なしには考えられない時代さえあった。そこには長男絶対視、そして長男の嫁は子を産み育てることが条件づけられていたし、それが当たり前のことと受け止められていた。

そうした家父長制度からの脱皮、解放の長い歴史を経て、まさにベビーブームの落とし子たちの子どもがすでに社会進出している二一世紀を迎える今にいたっては、かつての家という言葉から連想される重いしがらみは影もかたちも消えた感がある。

女性が男性社会の中で肩肘はらざるを得なかった時代は終わった。自然体としての女性の生き方、そしてそうした女性の自立をサポートする男性と、バランスの良い社会構造になってきている気がする。

パラサイトシングルと呼ばれる親子関係も、単に甘えの関係としてではなく、親子から生活者としての新しい家族関係の現れともとれる。これもまた結婚という形態をあらためて考えさせられる社会現象の一つなのだと思う。

家族像の変化とともに家と家としての、いわばご近所づき合いも変わってきたような気がする。仕事する女性が増えればどうしても接触は少なくならざるを得ない。

よく首都圏のマンションなどでは隣人とさえほとんどつき合いがなく、それでも生活が成り立ってしまうという。お互いに干渉し合わないことが暗黙のルールのようにさえなっている。

しかしながら、家を留守にせざるを得ない生活が多くなればなるほど、お互いを尊重しながらも干渉し合わないという、この距離をうまく見つけ、安心して暮らせる人間社会であってほしいと思うのである。

さまざまな家族の家づくりの経緯やその実態に触れ、あらためて家族って何だろう、家庭って何だろう、そして何のために家をつくるのか、と、考えさせられてしまう。

事情はどうあれ、家をつくる以上、納得した家をつくりたいと願う気持ちは誰も一緒だろうと思う。となれば、何のために家をつくるのかといった、この素朴な疑問を見つめることは意味が大きいと思う。

自分にとってのパートナーとの暮らし、一緒に暮らす暮らさないに限らず、どういうつき合い方がお互いにとっての成長につながるのか。家族との関係も同じ視点でとらえたい。そんなことを真剣に考えてみたら、どういう形態であれ納得のいく住まい像が見えてくるのではないだろうか。

一つの生活空間の中で自分はどういう生き方をしたいのか。この質問をさらにつきつめていけばおそらく何のために生きているのかというところにいきつくのだと思う。

家づくり、実際に生活のかたちを間取る時、同じ空間に生活する、もしくは訪れてくる、さまざまな人間との関係をどう受け止め、誰と、どういう時間をどういう空間の中で共有するのか、そういったところからとらえていけば、自ずと自分らしい生き方の家ができてくると思う。

家族は好きだけれど家庭は嫌いだ。という話をどこかで耳にした。家庭が一種のしがらみに思えるからだろうか・であればいいとこ取りをして煩わしさからは逃れたいということでしかない。自分らしさ、自分らしい生き方というと、何か身勝手であって良いと解釈されがちだけれどそれは全く違う。

どんな暮らし方をしていても、この社会で生きてる以上一人では何もできない。すべてまわりとの関係で成り立っている。

納得のいく家づくりのために、ミステリアスとも見える家族関係を、もっと単純に、何で一緒に暮らすのかといったところから考えてみたい。

若林礼子 (2008.9故人となりました。)
やっと出会えた本物の家より

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